防弾のある人生

忘れないように、色褪せないように、ただただ日記



「最初で最後の出逢い」

好きな音楽を聴きながら自転車にのって風を感じている瞬間、それは私の幸せ。私の青春。なびく制服のスカート、今日も一日が終わる、街は暗くなり家々からは焼き魚や味噌汁の匂いがしてきてお腹もペコペコ、イヤホンを耳に差し込む、今日の曲はフォーユー。風はからだを撫でるように柔らかくて、少し冷たくて気持ちよくて。歌がその季節をもっと素敵に感じさせてくれる。防弾少年団は私の日常に突然零れ落ちた星のような存在だった。

これは高校2年のとき。吹く風は冷たくなってきた。自転車通学は好きだった。帰り道、風はだんだん冬の匂いになっていく。好きな人に彼女が出来た。彼女が出来たって嬉しそうに笑う君を見て本気で好きだったと気づいた。夜7時、家に着く、普段と変わらず夕食を食べてお風呂も入って、でもいつもよりちょっと早く布団に入った。何気なくYouTubeを開いて今日は夜更かししたい気持ちになった。その時のYouTubeの広告が防弾のボンボヤージュだった。ファイヤーの音楽にのせて力ずよくメンバーが表示される。実は今までこの広告は何度も見たことがあったし、そもそも防弾少年団は知っていた。正直に当時は防弾少年団は何となく韓国のヤンチャなグループと言うイメージで、バンタン×アーミーは怖くて過激なイメージがあったので「あ〜ばんたんね…」と言った感じだった。私は何も知らなかった。この時から彼らに向き合っていたらと思うと今でも胸が締め付けられる。しかしこの日は何故か違った。防弾少年団に引き寄せられるように検索をかけてみた。ファイヤーを見て、衝撃が走った。サンナムジャ、ハルマン、どんどんMVを見る手が止まらなくなった。そしてその後に見たのがピッタンヌンムル。その日はピッタンヌンムルの公開日だった。ジミンの誕生日の3日前の日。ピッタンヌンムルで完全に落ちた、この感覚は今でもずっと残っている。この表現力、ただのアイドルじゃない。今いくつかのMVを見てきて、防弾にただならぬ深さと幅と執着かと思えるほどの音楽への熱を感じだ。初めてだった。それまでは東方神起一筋だったけど、分裂してから辛さもあってだんだんと離れていたゲーポップ。まさかまたゲーポップにハマるなんて思ってもいなかった。でもこれは最初で最後だと直感で思った。こんな気持ちは初めてだったから。その瞬間から防弾少年団が好きになった。

 

「ファン人生のはじまり」

YouTube防弾少年団を検索して、一晩中浸った。当時高校生だったので、テスト期間は早く家に帰れる。帰っては直ぐにYouTubeを開き、バンタンボム、たりょら、全て見尽くした上でファンが作った動画を見て、防弾少年団のことをどんどん知っていく。心の底から楽しい時間だった。防弾少年団が大好きになっていった。どんどんと落ちていく感覚。明日がジミンの誕生日。ファンになったばかりだが、思わずTwitterの韓ドラのアカウントで、ジミンの誕生日のお祝いツイートをした。マスターさんの二次加工×やファンクラブの画像転載×など知らずに、何かも分からない拾い画の中からお気に入りのジミンをかき集めて新規の精一杯でツイートした。そう。ジミンが好きになっていた。ジミンペンのはじまりだ。タイムラインがジミンのお祝いでいっぱいになっていた。しかし当時はエクセルとアーミーの喧嘩が絶え間なく、防弾の呟きによってフォロワーはみるみる減った。

翌日学校の仲良しのアーミーに防弾の新曲が良いと話した。すると防弾が大好きだったテジン推しの仲の良い友達は「え?きいたん?!いいよな!!ジミンの肩出しエロいよな!ジンニムなんてチューしとるし!でもなんか曲調が今回からちゃうんよな。コンセプト変えたんかな。あと、防弾いいけど、ファン怖いで。」といった。誕生日のツイートをしたことを話すと「マスターの二次加工とか転載あかんやつあるねん。」と言い、親切に教えてくれた。彼女は後に防弾から離れることになるが、私にとっての初めての防弾友達だった。

毎日防弾をYouTubeで漁り、メンバーのことを知っていくのが楽しかった。ジンニムは肩広い、チムチムはお餅おイモ、テテは4次元、ユンギは塩、ラプモンはライアン、ホソクは希望、ジョングクはうさぎ黄金マンネ、そんな所から始めた。その頃の帰り道の選曲はホルモン戦争かサンナムジャ。

 

Armyは幸せだった」

思っていたのと違う。防弾少年団は私が外野から見ていて思っていたのとは180度違うことがどんどん発覚して行った。当時は居酒屋のバイトをして少しばかりお金を貯めていたのでそのお金でファンクラブに入ることを決めた。東方神起JYJも嵐もソシもすごく好きだったけどファンクラブに入ったらお金どんどん無くなるからダメという家訓に従って限られた中で好きを叫んでいたが、防弾少年団は初めて自分の意思で、自分で稼いだお金でファンクラブに入った。ライブが決まり、応募もした。その頃君が届くの一般応募があり、既に防弾は人気だったので回線が混むと知り、祖母からガラケーを借り、スマホガラケーを両手にコンビニのチケットぴあで戦った。半べそで両親にも手伝ってもらい、回線が繋がった。立見席ではあったが初めて防弾少年団のライブへのチケットを手に入れた。私は防弾少年団に会えるんだ、会う事ができるんだ。涙が出た、嬉しかった、その時自分の周りをまとっていた日々の悩みや辛さがちっぽけなものに思えた。

その頃、私は既に歌やメンバーのカッコ良さだけでなく、可愛いところやおちゃめなところ、15年末の1件、頑張るところ、メンバー思いなところ、辛かった過去、花様年華を履修していた。防弾の深いところをどんどんついてゆき、もう沼入は確定だった。

仲の良かったアーミーとは何故か溝が出来たような感覚があった。彼女は「バンタンは神戸の事件とかある、まあまあクオズが喧嘩してたりする、いろいろあるねん」と話していた。

当時は少し冷たいように感じたが、ごめんなさい、今ならあなたの気持ちがよく分かります。いつも一緒に話をして聞いてくれて、いきなりアーミーになった私に色々教えてくれて、グッズとかもくれたりして、多分色んな葛藤があったはずなのに、ありがとう。

だかしかし、何があっても防弾が好きだった。なぜなら彼ら自身のことはもちろん好きだが、彼らが発信する音楽に惚れていたからだ。Armyになれて、幸せだと思う。Armyは幸せだ。防弾が手を握っていつも花道を見せてくれる。もう一度言いたい、Armyは幸せだ。

 

Armyとして防弾を応援していたい」

防弾を好きになって初めてのハロウィン、防弾は毎年ハロウィンに仮装してファンに届けてくれている。かわいい。なんて素敵だ。一つ一つコンテンツが更新される度に感動した。

その頃、ファンはやはり荒れ気味で、Twitterの防弾垢を作ったが、やはり荒れていた。テヒョンの態度悪い。笑ってない。いや人間なら誰しもしんどくて笑えない時ある。いやアイドルは笑うのが仕事。色んな意見で溢れていて、当時高校で自己の確立がまだ成長途中であった私は、どう思ったら良いかよく分からなかった。

友達はだんだんと防弾から離れていくようになった。そしてクオズのおちゃめな行動にも批判するようになり、今まで好きだった防弾少年団とはもう変わってしまった。もう売れきってしまっている。と話すようになり、私がよくTwitterでみているような人になっていた。私はそっと防弾の話を控えるようにした。

防弾のサードマスター。テヒョンの祖母の告白を聴き、涙した。サイン会の日に涙していたテヒョンにも一緒に涙した。番組でジョングクがヒョン達が苦しんでるのが1番辛いと言っていて涙した。防弾少年団は私達と同じ人間だ。もがき苦しんで今でも正解なんて分からないけど精一杯アイドルをしているんだ。私はその防弾少年団の成長を一緒にあゆみたい、応援していたい。そう思った。防弾少年団が私達に伝えようと話してくれる言葉ひとつひとつに愛を感じて、もっともっと応援していたいと思った。

帰り道、グッディやフォーユー、アラヨを聞いていた。冬の日寒さも強まったが防弾少年団がそばに居るから無敵な気持ちになっていた。

 

「受賞式、一大事」

メロンとママ、Twitterのタグで沢山投票した。防弾少年団が大賞を取って喜ぶ姿がみたい。防弾少年団に恩返しがしたい。何より防弾少年団が大好きで誇らしかった。そう思う気持ちが何より私を熱くさせた。

当時はバイトが上手くいかず、苦しかった。もう行きたくない、そう思っても帰り道にWINGSを聴くと涙が出た。アウェイクを聞いて涙が出た。防弾少年団の音楽が私の心の凝りを解いてくれる。12月にはライブにも行ける、頑張ろう。毎回防弾少年団の歌に励まされた。来年は受験生なのに夢もない自分の進路に不安があったが防弾少年団の歌を聞いている時は幸せになれた。ひたすら防弾少年団を追っていた。

そんなこんなで、防弾少年団は私の人生の踏ん張りどころに現れたわけだ。そしていつも無理に励ますでもなく、助けるでもなく、隣で痛みに共感してくれて1歩踏み出す勇気をくれた。そんな防弾少年団が本当に好きでたまらなくなっていて、彼らの人生を応援していた。

メロン、数日前から緊張、当日は心臓のドキドキと涙が止まらなかった。ママ、これも同様だ。スピーチ、もう言葉にできない。この受賞式を本当に言葉にすることが出来ない。今でもバンタンソニョンダンと呼ばれた瞬間に鳥肌が立ち涙が溜まる。この人たちは凄い。平凡な7人の少年がこの「凄い」に辿り着くまでどれほどの事があっただろうか。彼らを人として尊敬した、と同時に彼らに出逢えて、応援できて良かったと心の底から泣いた。私は幸せだ。受賞式は私にとって一大事だ。感情が本当に大変になる。

既にこの時にはもう「オタク」だったかなと思う。

 

「君に届く」

初めてのライブはチケットを家に忘れた。大阪城ホールについてもう1回とりに帰ってまた行って、とにかく緊張していたんだと思う。進撃服はいっちょ前にミニスカートなんか履いて、アミボムも鶴橋に買いに行って、全部揃えた。Twitterで出会った素敵なお姉様方にもお会いできて幸せだった。そして本番、立見席から見る防弾、小さかった、でも見える、心臓が止まった。防弾少年団は世界に存在する。本当に存在する。防弾少年団の本物が今斜め下で動いている。泣いた。YouTubeで見てた、いつも応援してた、いつも笑顔をくれた防弾が目の前で大好きな歌を歌ってコスプレなんかして楽しそうに生きている、同じ空間で笑っている、幸せだ。アラヨの日本語バージョン、アコースティックのサンナムジャ、7人の笑顔、全部全部好きだ。全部が初めてでずっと緊張していた。でもとても幸せだった。幸せ過ぎて幸せ過ぎて本当に記憶が無い。仕方がないか、幸せをかみ締めていよう。

 

「辛い時に音楽がくれたもの、防弾がくれたもの」

歌謡祭、リアタイをした、そこそこブイライブもリアタイした。バイトは辞めた。辞める勇気がなかった私は防弾少年団に勇気をもらい、しっかり切ることが出来た。いや嘘だ、からだを壊してしまい、辞めざるおえなくなった。一時期はあんなに大好きな防弾少年団を見ることさえしんどくて、写真を全部消したこともあった。自分を守ることが出来ずからだを壊してしまった自分が情けなくて仕方なかった。防弾少年団の輝きが眩しくて、見れなくなった。だけど防弾少年団はそんなものではなかった。やはり防弾の歌、歌詞に励まされた。ありがとう、防弾少年団。やはり彼らは凄い。これも私の人生。そう思って前に進むことにした。ありがとう。

 

「春の日」

しんどい状況は少し続く。家庭の事情があり、毎日夜中に洗濯と食器洗いをする時間があったのだが、その時ずっとセイブミー、死んでも君だ、それらを始めとして防弾少年団の歌をずっとリピートした。防弾少年団が味方してくれている気持ちになった。頑張れた。そんなある日、ぽんなるとノットデイのteaserが出た。ノットデイは昔の防弾みたいで好き!という声も多かった。そんなTLの流れを見ながらも新曲がたまらなく楽しみだった。面白かった、ノットデイが0時に出なくてリアルノットデイ!?とTLが盛り上がっていたこと。WINGS外伝は全部が宝物だ。ぽんなるは本当にこの時から今までもずっと私の宝物となる。ぽんなるが本当に好き。

少ししんどい家庭事情も落ち着いてきた。楽しく過ごした。WINGSはジンくんとジミンのトレカ、外伝はジンくんのトレカが出た。この頃、私は既にジンペンだったのかもしれない。トレカが嬉しかった。宝物だ。でものちに私はジンくんのトレカと君に届くのタオルを何処かで落とす。本当にこれは愚か者。大切なものほど無くなる。ナムジュン。

高校3年に進級も決まった。実は文転をしたのだがこの時の葛藤も防弾の歌が支えとなり、決断出来た。何故だろう、幸せな時も苦しい時もやっぱり私は防弾少年団を応援している。防弾少年団を応援している自分は好きだ。

 

「世界に羽ばたくBTS

‪WINGSツアーも近づいてきた頃、ビルボードが決まった。これもまた投票があり、ひたすらツイートした事が懐かしい。少し退屈な授業であればTwitterを開いていた。何度かアカウントがツイートをしすぎてロックされたので幾度か乗り換えた。あの時はひたすらオタクをしていたなあと。しみじみ思う。もう防弾少年団の虜だったもの。でも防弾少年団の活動は今までは時差がなかったが、今回は時差がある。追えないことが多くなってきた。そんな感覚も同時にあったのだろう。ビルボードの日、朝から少しメイクに力を入れた。毎日メイク中はセイブミーを聞いていたがその日はボーンシンガーとヤングフォーエバーを聞いた。そんな緊張した朝だった。休み時間も中継をみた。凄く緊張した。賞を取れても取れなくても防弾少年団が好きで誇らしいことに変わりはない。なのに何故だろう、防弾少年団が賞をとって笑顔になって欲しい、防弾少年団の努力の上での才能が評価され、色んな人に称賛される姿が見たい、と思う気持ちがあり、とにかく防弾少年団の栄光を願った。授業中、携帯を覗いた。防弾少年団ビルボードを受賞したその時だった。BTS、おめでとう。家に帰ってちゃんと見た。やはり泣いてしまう。大好きな防弾が世界に認められたような気持ちになった、防弾少年団いつもありがとう、あなた達はそう、素晴らしいアイドルです、その気持ちをビルボードが代弁してくれたように思った。少しだけ、ほんの少しだけ、生意気ながらに寂しい気持ちも同時にあった。防弾少年団が世界に羽ばたいた。嬉しい。嬉しい。ちょっぴり寂しい。BTSってゆうのがちょっぴり恥ずかしい。そんなことも思ったりもした。アンビバレンスな気持ち。でも本当に少しだけだ。

‪WINGS、アリーナだった。当時体育祭で応援団に入っていたので声がガサガサ、時間のない毎日でなくオシャレも出来ずに行った。防弾少年団、私史上2回目。何故だろうか、アウェイクはあんなに心が人生が目の前のことが、優しく見えてくる、そんな特効薬のような効果があるのは何故だろうか。私は防弾の各個人のソロが本当に好きだ。WINGSのコンサートは私の初めてのツアー参加である。

その頃の4月、ジミンの殺害予告なるものがでて、すごく心を痛めたことがあった。ジンくんが同じ服をきてセルカをとったこともあった。あの時のジミンちゃん、すごく怖かったに違いない、なのに目隠しして完璧なステージだった、そんなことを思ったりなど、こうしてツアーを通して各公演で色んな出来事を積み重ねてきていて、今となっては歴史の1ページのようなものであるかのようだが、当時はそんな一つ一つに全てのエネルギーを使っていた。そうやってWINGSツアーを一緒に歩んで行くこととなった。

ある時はWINGSの日本語バージョンのシリアルが欲しかったがそこらじゅう売り切れて、隣の隣の県のタワレコまで電話した。ある時は朝のニュースの防弾の出番のために早起きして録画した。

 

「夏、夢」

防弾少年団を追い始めて、防弾少年団は早くも世界へと目線を向け、飛び立ち始めていた。薄々感じており、この頃からだろうか、時差やコンテンツの量についていけなくなり、今まで全部全部リアタイやそれに近い形で追ってきた防弾が追えなくなってきた。遅れてきた。見落としてきた。それが無意識にでも辛かったのではないかと今となっては思う。

私は受験生になっていた。実は夢がない。ソーファーアウェイ、大きな音で聴きながら自転車に乗ったりした。やりたいと思うことは多く、まとまらず、どうしようもなくやりきれない日々、皆が進路を定めていく中私は受けたい学校どころか将来の夢さえない。本当の夢を大学で探したいと思いいくつかの大学のOCにいった。憧れた。分厚い過去問も貯金を叩いて隠れて買った。定かなゴールのないまま大学へ行くお金はないと分かっていたのに。親に大学へ行こうかと軽く話した。親は私にいつも何も言わない。好きにしていいと思うよ、やってみな。そういう。でも分かっていて。今回ばかりは何故大学なのか。そう問われた。私は答えられなかった。大金を払ってまで行こうと思った理由は何か聞かれた。答えられない。私は熱を持ってこうしたい!と言えなかった。と同時に大学に行くお金はきっとないのかと悟った。弱い自分。自分かってに悟って何かのせいにして逃げている。

ウェディングプランナーになりたい、観光の仕事に就きたい、栄養士になって食事関係の仕事に就きたい、色んな夢が交差した。みんな自分の道が見えているのに自分だけ見えていないような気がして不安だった。進路選択関係の提出物や質問が全部逃げたいものとなった。防弾少年団の歌を聴きながら毎日思った。私の夢はいつ見つかるのか。私も夢に向かって防弾のように一生懸命になりたい。そう思いながら不安の中、一応どの道にも行けるように英語を勉強した。そんな時にあるひとつの夢を見つけた。初めてだった、こんな具体的に自分で行動できるほどなりたいと思ったのは。そしてこの学校に行きたいと強く思った。防弾少年団へ、夢を見つけました。今から絶対叶えるために、頑張ります。ありがとう。今となっては思う、防弾少年団を語る時、いつも私の人生が絡んでいる。防弾少年団は人々の人生に大きく関わっているんだと実感している。

そしてもうひとつ思うこと、時の流れは早い、防弾は毎回ステージの度に、カムバの度に、生まれ変わったかのようにもっとかっこよくなって帰ってくる。私は防弾を好きになってから、そう、受験や看護学校など今までの人生の中ではとても忙しい時期に差し掛かっている。1番青春で、1番忙しくて、1番思い悩むこの時期に防弾少年団に出会っている。正直、しっかりおうことが出来ないことを悔やむが、出逢うべき時に出会ったのかもしれない。私にとって防弾少年団が必要だった時にまさに出会ったのだと思うようにしている。

 

「共にした1年間、防弾少年団BTS

京セラドーム公演、両日参戦した。防弾少年団が尋常じゃない速さで大きくなっていることが目の当たりにされた。君に届く?ウィングス?防弾がちっちゃかった?遠かった?とんでもない。ファンクラブでも天井から数えて3列下ぐらいの席だった。防弾少年団はとてもとちもちいさくて、双眼鏡を友人に借りて見ていた。それと同時にすごく嬉しかった。本人たちの夢のドームに来ている。おめでとう、少年団。天井席で距離が遠くなったぶん、彼らを全身全霊で応援するファンの姿もとても沢山、よく見える。たくさんの人達が防弾に愛を叫んでいる。幸せだった。防弾が愛されていることを深く深く実感した。ステージに立つ防弾は本当に何回も言ってしまうが衝撃的に小さかったが、そこにある輝きはウィングスの時とは違う、もっともっと輝いていた。彼らは言う。私たちアーミーのおかげですと。違う。私たちは計り知れない程のものをあなた達から貰っている。アーミーのおかげです。その言葉は愛だ。私たちは言う、防弾のおかげですと。

京セラドームで天井席という事実を受け入れた。受け入れた上でこんな気持ちが湧いてきた。そしてドーム公演は終わろうとしている。私は損な性格だ、ライブが終盤になると勝手に察知して勝手に寂しくなってしまう。今この瞬間をめいいっぱい堪能するべきなのに勝手にフライングして寂しさが募ってくるのだ。そう寂しく涙があふれる中で防弾はまた扉の向こうの世界へと帰っていった。その時だった、気球が膨らんでいる。真横で。その気球には天使たちが乗っていた。ああ、防弾少年団、こんな高い所まで目線を合わせに来てくれるのか。もうこの時には既に語彙力はない。私の中の記憶は「尊い」これだ。涙が止まらなかった。防弾少年団が今までで1番高く、1番近くに見えた。必死にハートを送った。防弾少年団は優しいめで、ファンたちを見ている。防弾少年団の目は本物だった。私にはわかった。下にいる時も上にいるアーミーもありがとう、そう叫んでくれた、ありがとう。あなた達のおかげでこんな幸せを感じれる。ありがとう。もうわかるよ、世界のBTSになる理由はこれなんだ。BTS、もっと高くあなた達の思うままに羽ばたいていってね。いつもここで応援しています。本当に健康に生きてね。あなた達の幸せをずっと願っています。そう思った。

「夢、希望、前進」

ライブは終わる。ここからは自分の人生を必死に生きなければいけない。防弾少年団という糧をもち、自分と向き合っていく。私には夢ができた。防弾を追うことが少しずつ出来なくなる。でも大丈夫。好きな気持ちは変わらない。離れていても心はここにある。そう思って必死に必死に勉強した。若かった自分は18時間位は机に向かっていてもそれでも足りなかった。今の私は当時の私を褒めてあげたい。がむしゃらに毎日踏ん張った。当時は実は凄く苦しかったが今となってはあの頃のがむしゃらで何でも全力にぶち当たれた怖いもの知らずの自分が少し羨ましく思う。自分へのプレッシャーが凄かった。ここしか行きたくないからここしか受験しない。ここに行けなかったら人生終わりだと思おう。そう思って遅すぎる受験生をスタートさせた私にとっては人生で1番自分との闘いであり、孤独であった。それでも行きたかった学校、それでもなりたい看護師、寝なくても食べなくても身体的にはしんどかったが精神的にはしんどくなかった。と思っていた。むしろ起きれなかったり、思ったより集中できなかったりした時、自分が許せなくて辛かった。夢が目の前にひとつ、明確だった。その事のために頑張れること、本当に幸せものだと思う。トゥモロウ、これほどの曲はない。すごい。イサ、コヨプ、ノーモア、ノー、Sea、ジャンプ、ウィングス、グッディ、ビギーン、防弾少年団の曲を聴きながら自転車で風に吹かれている時間、これは唯一の私のバイブルである。原動力。

ある時はエネルギーが溜まる、湧いてくる感じがした。ある時は涙があふれた、やるせなかったり、不安だったり、自分で責任をとることに対して孤独を感じたりした。でもnevermindを聞く、あとひと踏ん張り、毎日毎日1秒も無駄にせずいきた。夢、希望、前進前進、朝が開ける前が1番暗い、それでも自分の道を信じる、防弾の歌詞は当時の自分にどれだけ力になっていただろうか。

 

「季節は変わる」

ある日、明け暮れていた日、母がひとつ袋を手渡してきた。母はいつも黙って応援してくれる。その当時、私はあんだけすきだった防弾の写真を隣に立てかけ、携帯を制限して勉強していた。母はクリスタルスノーのCD4枚、買ってくれていた。クリスタルスノーは少し流出していたのを聞いてしまい、何となく私の好みだとは思っていて、CDも欲しかったのでとても嬉しかった。クリスタルスノーは本当に優しくて、大好きだ。防弾少年団の歌は、本当にいつも最高だ。クリスタルスノーを聴きながら勉強した。帰り道、友達が言った。「雪!」その子と一緒にクリスタルスノーをかけて口ずさんだ高3の冬、防弾少年団を好きになって2回目の冬。冬になると今でも防弾少年団に落ちた時の気持ちが蘇る。私にとって冬は防弾少年団の始まりの季節だから。雪が降った時に思うことも、防弾少年団のもとには優しい雪が振りますように。そんなことだった。受験が近づいてきた。

年末、少しだけ防弾少年団が追いたくなった。自分へのご褒美。毎年シーグリは買っているのでなけなしの貯金でシーグリを買った。受験が終わったら見よう。私はいつもそうだ。防弾のコンテンツはご褒美、至福。好きになった時期がこうなもんだから、いつも防弾は何かを成し遂げたあとのご褒美となっていた。私は友達にも恵まれた方だと思う。この時は既に、初めに一緒にいたアーミーとはあまり話さなくなった。しかし京セラドームも一緒に参戦し、今後もバンステやラブユアも一緒に行けるような、受験期も一緒に励ませるようなアーミーにもであった。アーミーではないが、防弾少年団の画像を送ってくれたり、私のニードをバッチリついてくれる友達や本当にこの時に心から親友と思える友達も何人かできた。いろんな応援を感じ、周りの人への感謝を忘れず、勉強を続けた。受験の日、御守りを持った、防弾少年団のキーをつけて、場所に向かった。一次合格、落ち着いて2次の面接を受ける。絶対受からないと笑われて、自分でも恥ずかしくてずっと周りに言えなかった憧れの学校、誰からも滑り止めを進められる現実、そんなものが脳裏に浮かんだ、でも、それよりも、私は誰よりも1番この学校で夢を叶えたいと思っている自信があった。併願校を聞かれても自信を持って答えられる。ここしか受けていない。ここ以外は行こうと思っていない。浪人すると。自分の魂で闘った。帰り道、何故が涙がでた。ベストオブミー、受験が終わって1番にイヤホンを耳にぶち込んで大音量で流した。防弾少年団の歌はみんないい歌だ。彼らもきっと魂で歌っているから。受験が終わってからは防弾少年団にひたった。友達と旅行の約束をした。高校はもうすぐ卒業だ。

 

「誰かの人生、防弾少年団

夢のスタートラインにたつことができた。合格した。私は一生忘れないだろう。この合格を掴むことが出来たのは紛れもなく防弾少年団が存在が揺るぎなくそこにあったからだ。防弾少年団の歌がなかったら今の私はいない。防弾少年団はきっとこうして多かれ少なかれ誰かの人生に希望と夢と勇気を与えてくれる。それがどんな形であるかは分からないがアイドルとは、そんな凄い仕事なんだと思った。防弾少年団は私にとってそんな存在になっていた。きっとミッチリ追えていた期間は短い。Twitterで出会った友達はほんとに優しくて一緒に話すのが楽しくて、一緒に防弾を追ってきていることが嬉しくて何にも変えられないかけがえのない存在だ。そんなTwitterでもあまり追えてはいなかったが、関係ない、防弾を好きな気持ちは大きくなる。新曲が出る度に今も、何度も何度でも恋に落ちるのである。

防弾少年団は人生において切っても切り離せない存在となっている。

 

「新しい生活の始まり」

憧れていた学校に入った。とても嬉しくて、いっぱい頑張ろうと心に決めていた。防弾少年団を追えないほど忙しくなっても心はずっとそばに居ると、そう信じて。次は自分の人生を生きていかなければならない。そう言い聞かせて。

 

「ラブマイセルフ」

当時の自分が今の私を知ったら大喜びするだろう。それと同時に絶望すると思う。私はこれほどまでに望んだ場所なのに、人生で1番苦しむことになるから。誰かのいる場所は誰かの望む場所。自分が望む場所にたどり着いたとして、果たしてそこは本当に幸せなのか。人生は考え事でいっぱいだ。

予想通り、防弾少年団2回目のビルボード、追うことが出来ていない。最後に追えたのは本当にフェイクラブだった気がする。それ以降は自分の人生が凄く危うくなった。辛いことが多く、毎朝毎晩泣きながらユフォリア、ジャストダンス、ラブ、全部、ラブユアセルフ全部を死ぬほど聞いた。わざとゆっくりゆっくり歩いて、風に打たれながらちまちま帰った。ユフォリアは特に、いつも靴擦れに絆創膏を添えてくれるかのような存在だった。自分で切り開いた道でこんなにももがき苦しむなんて、悔しかった。こんな時も、防弾少年団の曲を聴きながら風にうたれている。変わらないね。

そんな中でもハピエバ、幸せだった。初めてアリーナの2列目になって、逆に緊張しすぎて記憶が失われている。ほんと、なんてこった。でもこれも凄く幸せで、防弾の目はキラキラとしていて、きっとこの公演が終わってからも幸せは続くんだと思える、本当の意味で夢の時間だった。スピークユワセルフ、これももう、このために生きたと言っても過言ではないほど、私にとって夜空に光る星のような一大イベントスケジュールであった。各自のソロ、本当に輝いている。彼らがしてきたことはしっかりとわかる。人間はきっとわかるものなのだ、真心、心は伝わる、彼らが私たちに何かを伝えようとステージを創り上げていることがよく分かる。圧巻。そして愛のある暖かいひとつひとつの彼らの言葉は本当に綺麗で、素晴らしく美しいものであった。世界のBTSだった。ラブユアセルフ。このコンセプトはすごい。花様年華ウィングスがあった上でのラブユアセルフ、彼らはもがいたその先に、自分を愛するという所にたどり着いたのであろう。それを心から実感するライブであった。私は私のことを愛することが出来ているだろうか。自分と向き合うことが出来たのも紛れもなく防弾少年団のおかげであった。Microcosmos、もう何回聞いたことだろう。チョンモッチン、何度泣いたことだろう。彼らの真心を、痛いほどに感じる。彼らのステージは毎回命懸けだ。ひとつも同じものがない。毎回同じ曲でも違う。彼ら自身が人を引き寄せている。彼らを必要としている時、彼らに出会う、そうゆうことか。防弾少年団の歌を聞いていると力が湧いてきたり、心が楽になったり、最高に楽しい気持ちになったり、優しい気持ちになったり、私の人生を語る上で、防弾少年団は切っても切り離せないものとなっている。

あの時防弾少年団を知らなかったら、私は今の私ではなかった。すごい。これが人生か。

 

「人生の輝き、夜空の星」

防弾少年団はわたしに沢山の幸せと人生を教えてくれた。これほどまでに思えるアイドルと出逢えたことが本当に誇りだ。防弾少年団は私の誇りだ。好きなところを述べ始めると止まらなくなる。防弾少年団は宝物だ。

長居のスタジアム、本当に幸せだった。防弾少年団は本当に輝いていて、いつもいつも最高の姿で舞台に立っている。私は尊敬している。本当に彼らは凄い。

1人ひとりが個性を大切にしあって、尊重しあって輝いているあの7つでひとつの星は奇跡だと思う。

 

「それでも防弾少年団を追いたい、オタクの心」

私が防弾少年団を追いかけた時間、それは防弾少年団がどんどんと成長し、世界に羽ばたいていくその一瞬だった。そのときを一緒に前進することが出来て、私は本当に幸せだと思う。私の初めてのアーミー友達、今ならあなたの気持ちが本当にわかる。防弾少年団ははじめ、アーミーに執着しているというか、その手をギュッと握って離さないという感じに思えた。しかし今はまるで遠くに旅たったように思ってしまう。オタクの心は難しい。当時の私には分からなかった、好きなのにペン卒するアーミーの気持ちが。でも今なら凄くわかる気がする。人は成長するし必ず変わりゆくもの、諸行無常である。しかしあまりにも、あまりにもその花様年華ウィングスの過程が危うくて未完成で若くて、消して万人受けするようなものでなくてもがむしゃらに失敗しながら前へ前へと進むあの瞬間があまりにも儚くて、しがみついていたくなってしまう。防弾少年団が、あまりにも自分にとって青春だから。花様年華ウィングスにしがみついていたくなるその気持ちが生まれてしまう。周りの人は沢山追えているのに自分が追えていなかったりすると、勝手に比べて辛くなってしまう。こんな所でも既にラブマイセルフできていない。オタク心は非常に難しい。1番美しい瞬間はきっと今この瞬間なのに。でもどうしても輝き続けている、あの青春を、これからもずっと、色褪せないように、語り続けたい。

自分がオタクをすることが辛くなって、防弾少年団が好きなのに見るのが辛くて、見れない時期が何度かくる。でもやっぱり防弾少年団のステージやメントを見た時に後悔する。ああ、あの時も防弾少年団にとっては花様年華だったのに、なんて勿体ないことをしていたんだと。今を1秒も無駄にせずにいたいと願う。実は1番仲のいい友達が最近アーミーになった、他にも何人も友達がアーミーになっていく姿を見ている。今まで知ってはいたけれど、落ちるタイミングというのは人それぞれだ。人は必要な時にその人に出会うというのはきっと本当なのだろう。あの、YouTubeで漁って見ていた頃の自分とかぶさる。ちょっと羨ましい気持ちになる。これからいろんな防弾少年団の世界がその先には広がっているんだよと心の中でつぶやく。私の好きな防弾少年団がたくさんの愛に包まれますように。

どんなときも、彼らはそこに立って私たちに何かを伝えようとしてくれている。その懸命な姿やメッセージは本当に。言葉に出来ないほどの。ものだ。彼らと過ごす時間その物が花様年華だ。出会ったその瞬間から花様年華。最初で最後の出逢い。防弾少年団に出逢えて良かった。

アイドルとは、ファンは応援してくれてありがとう!程度にしか思っていないとか思っていた。でも防弾少年団は違うと思わせてくれる。彼らはただものでは無い。いつもアーミーと呼んでくれるその心、その瞳、その笑顔、涙、声、全てを尊重したい。例え防弾少年団がそう思っていたとしても思っていなかったとしても、防弾少年団の夢が現実になることを、防弾少年団が自分を愛し続け、幸せだと思える日々を過ごせることを、私はいつも願っている。たまにオタク心をこじらせることがあっても、この気持ちだけは変わらない。

 

「今も」

人生は簡単には行かない。私は今も大きな壁にぶつかっているんだと思う。君の努力は君だけが知っていればいい。人生の花様年華は必ず来ます。諦めることは勇気がいること。情熱的に生きなければいけないわけじゃない。防弾少年団の言葉はいつも私の人生に刺激をあたえてくれる。これから何度も決断を繰り返し、勇気を振り絞って生きていかなければならない。心の中にはいつもBTSがいる。Youngforever、まだ走り続けるよ。自分を信じて自分らしく歩いていく。アイムファイン。マジックショップ。Answer好きな音楽を聴きながら自転車にのって風を感じている瞬間、それは私の幸せ。